2017/9/27

戸隠神社 五社めぐりを終了して善光寺へ




信州 善光寺
信州善光寺は、一光三尊阿弥陀如来様を御本尊として、創建以来約千四百年の長きに亘り、
阿弥陀如来様との結縁の場として、民衆の心の拠り所として深く広い信仰を得ております。

『善光寺縁起』によれば、御本尊の一光三尊阿弥陀如来様は、
インドから朝鮮半島百済国へとお渡りになり、欽明天皇十三年(552年)、
仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれております。




戦国時代に、武田信玄と上杉謙信が信濃の覇権を巡り、川中島の合戦を繰り広げ、
弘治元年(1555年)、武田信玄は御本尊様や多くの什宝、寺僧に至るまで、
善光寺を組織ごと甲府に移しました。
武田家が織田・徳川連合軍に敗れると、御本尊様は織田家、徳川家の祀るところとなり、
最後は豊臣秀吉が京都・方広寺の御本尊としてお奉りいたしました。
そして、秀吉の死の直前、如来様がその枕元に立たれ、信濃の地に戻りたい旨を
お告げになり、それによって慶長三年(1598年)、
四十数年ぶりに善光寺にお帰りになられました




三門(山門) 重要文化財
寛延三年(1750年)に建立された二層入母屋造りの門です。
屋根は大正年間の葺き替え時に檜皮葺きとなりましたが、
平成十四年から十九年にかけて行われた平成大修理において、
建立当時と同じサワラの板を用いた栩葺き(とちぶき)に復原されました。

楼上には輪王寺宮筆の「善光寺」と書かれた額が掲げられています。
これは通称「鳩字の額」と呼ばれており、3文字の中に鳩が5羽隠されています。
更に「善」の一字が牛の顔に見えると言われ、「牛に引かれて善光寺参り」の
信仰を如実に物語っています





仁王門
仁王門は宝暦二年(1752年)に建立されましたが、善光寺大地震などにより二度焼失し、
現在のものは大正七年(1918年)に再建されました。
この門には善光寺の山号である「定額山」の額が掲げられています。
仁王像並びに仁王像背後の三宝荒神・三面大黒天は共に高村光雲・米原雲海の作





仁王像並びに仁王像背後の三宝荒神・三面大黒天は共に高村光雲・米原雲海の作




本堂の御朱印所でいただいた5つの御朱印
左から 本堂、文殊菩薩、びんずる尊者




左から 御詠歌、おやこ地蔵



善光寺は、混んでて疲れました。

これから、別所温泉に向かいます